姉妹で活動するGospelグループizumiのブログです。
私は、股関節臼蓋形成不全という障がいをもって生まれました。
赤ちゃんの3か月健診で、発見されたそうです。
クリスチャンの両親は、私の足のいやしのため、12年間祈り続けてくれました。
私が、自分の足の障がいを意識し始めたのは、歩くときに痛みが出て来た時でした。
小学校の3年か4年生の時だったと思います。
足が痛むたびに思い起こすのは、医師が言っていた「手術」という言葉でした。
医師から、「手術しなければ、歩けなくなる」と宣告されていたのです。
私は、手術だけは絶対にしたくないと思っていました。
それは、子ども心にとても「怖い」言葉でした。
5年生の時、5月頃のキャンプでウォークラリーがあり、約2時間歩き続けなければなりませんでした。
その時は、痛くて痛くて、泣きながら家に帰って来ました。
あまりの痛さに、その夜はほとんど眠れない状態でした。
それから、1年10か月後のことです。
小学校の卒業式を終え、定期健診のため、病院へ行きました。
手術をするかしないかを決める、大事な健診でした。レントゲンを撮り終えて医師が言ったのです。
その直後に、教会の春の中高生キャンプがあり参加しました。
ハイキングというプログラムがありましたが、実際は山登りでした。
けれども驚いたことに、いくら歩いても、足が痛くならないのです。
私は男の子たちと、先頭を切って、走って山を駆け下りて来ることができました。
この時初めて、「本当に治ったんだ」と喜びがわきあがってきました。
そして、それ以後、もう二度と痛むことはありませんでした。
心から、神様に感謝をささげます。神さまは、私の足を完全にいやしてくださいました。
ハレルヤ!!
私の妻は、かつて、看護師として、ある老人ホームに勤務しておりました。
その老人ホームには、4人の看護師さんがおられました。
その長の方が退職され、代わりに一番後に入った妻が正看護師という理由で長に抜擢されました。
ところが、その任命によって、対立関係が生じ、そこからさまざまな問題が発生して行きました。
その対立は、しばらくは私的なレベルの問題で済んでいました、しかし、やがて、その対立が公になってしまう日がやってきました。
ドクターと入所者のご家族がおられるところで爆発してしまったのです。
カンカンに怒ったドクターは、即刻その看護師をやめさせるよう要求しました。
しかし、私の妻は、長である自分にすべての責任があるとして、自らの退職を決意したのです。
午後に、婦人会があり、その中で一人ひとりの祈りの課題をみんなでお祈りする時がありました。
みな、真剣に30分以上にわたってお祈りし、とりなしてくださいました。
この方は、クリスチャンの看護師さんで、昨日神様に示されて、悔い改めるように、お詫びするように言われた、というのです。
本当に信じられないことが起きました。
それは、まさしく奇跡としか言いようのない光景でした。
これまでの敵対していた感情が一瞬のうちに取り去られ、すばらしい和解の時が与えられたのです。
その方は、その場で、ご自分の罪をみとめられ、信仰を告白してクリスチャンになられました。
結局、妻はそのまま勤務をゆるされ、国分寺に転居する3か月後まで、それまでの暗い、苦しい日々がまるでうそだったかのように、本当に祝福された職場生活を送ることができました。
転居に際して、涙を流して心から別れを惜しんでくださいました。
主任牧師 イエス・キリスト
牧師 ヨシュア・苫米地